最近は次男がドリブル練習を好きすぎて、公園を30分くらい一緒に走り回っているこうふうです‼︎
いいダイエットになるのでありがたい♥
という僕のダイエット話は置いといて、今日は『記憶に残るシーンが多ければ多いほど、サッカーを楽しく継続できる力になる』といった話をしていきます。
是非この話を参考に親子で記憶に残るシーンを増やしていき、サッカーを楽しく継続してもらえたら嬉しいです‼
記憶に残るシーンが多いほどサッカーを継続できる力になる‼
サッカーは勝負の世界なので、勝って楽しい時ばかりではなく、負けて辛く苦しい時も多いです。また、レギュラーに選ばれず試合に出れなかったり、怪我をすることもあると思います。
その都度、『やめたい』『もういいや』といってメンタルがマイナスな方向へ向かう時が必ず来ます。
僕も実際にサッカーを10年以上本気で取り組んできた中で『やめたい‼︎』と思うことが何度もありました。それは怪我をした時、伸び悩んだ時、結果が出なかった時など理由は様々です。
そんなときに、諦めずサッカーを続けてこれた原動力が今回話す『記憶に残るシーン』だったのです。
中学1年生の春
入学してすぐ3年生メインのAチームの補欠として練習に励んでいました。
即戦力として期待されたのも嬉しかったですし、早く試合に出たいというワクワクした気持ちで毎日が楽しかったのを覚えています。
しかし休み時間中に『右腕の開放骨折』という大けがをして全治4か月と少なからず後遺症も残ってしまいました。この間に3年生は引退して2年生メインのチームへと移行したのですが、この4か月間はリハビリもあり非常に苦しかったです。
この苦しさを和らげてくれて、前へ進む気持ちにしてくれたのは『小学5年生の時に決めたハットトリック』と『毎日リハビリのために送迎してくれた母親の姿』でした。
リハビリ中は辛かったけど、好きなサッカーを早くやりたい…そしてリハビリに付き添ってくれた母親の気持ちにこたえたいという気持ちが僕を奮い立たせてくれました。
幸い右腕の骨折だったので3カ月を過ぎたころからは走り込みができるようになり、ひたすら走りまくってチーム一二を争う持久力を武器にボランチへとコンバートされました‼
もう試合中に走り負けることはなくなりましたよ(笑)
入学早々に躓いたこうふうですが、見事にネガティブをポジティブに変えてみせました‼
中学2年生の夏
しかし…喜びは束の間…またもや…再度右腕を骨折しました(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
今回は全治2か月程度ですが、3年生の最後の大会前…最悪のタイミングでした。
チームは県の準決勝まで残り、芝のグラウンドで試合をしていたのを今でも覚えています。ベンチ外でサポートをする自分が情けなかったし、試合に出ていたはずの自分を想像して悔し泣きしていました。
この時はやめたいという気持ちよりも情けない自分に腹が立って、前回の教訓をもとにリハビリに励んでいました。
ただ、リハビリを経て復帰した時に…自分のポジションは有りませんでした(; ・`д・´)
新入生台頭や同級生のレベルアップ、チーム戦術の変更によるポジションの有無など自分にとって苦しい状況が畳みかけてきました。
流石にこの時は辛かったですね…(´;ω;`)
そんな時に力になってくれたのが父親と弟でした‼
単身赴任で月に1回しか帰ってこなかった父親が僕を心配してか、週1で帰ってきてくれて自主練に付き合ってくれました。もともと少年団のコーチをしていたので心強かったです‼
また、年の離れた弟も少年団でサッカーをしていたので、ボール出しやパス連など練習に付き合ってくれて色々と助けてくれました‼
久しぶりに家族でサッカーが出来て幸せな時間だったし、色々と悩みを打ち明けられたので心がスッキリしたのを覚えています。
この濃密な時間があったからこそ、怪我明け後すぐに途中交代でチャンスが巡ってきてトントン拍子にレギュラー奪還ができました‼
ちなみに…大学で足の指、社会人で足首と4度骨折していますが、性懲りもなくサッカーを続けていました(笑)
まとめ
僕自身の経験からサッカーで活躍したシーン(ゴール等)も記憶に残っていますが、一番近くで支えてくれていた『家族との記憶』がサッカーを楽しく続けてこれたエナジードリンクになってます‼
そして、僕のブログは『親だからこそできる‼』をモットーにしています。
一番身近な家族だからこそ出来ることはたくさんありますし、お子さんもなんだかんだ親の力を頼りにしています。
お子さんが成長して上手くなるには『サッカーを楽しく継続する」しかありません。そのサポートをできるのが親の特権ですので暖かい目で見守っていって欲しいと思います:;(∩´﹏`∩);: